古民家の資材と富士北麓の農民たち
そこは以前は家族・仲間の無事を祈る場所だった。
山腹の賑わいに、今はその面影は見る影もないが・・。
***
山梨県南都留郡富士河口湖町は
2013年に富士山が世界遺産に登録されて
再び脚光を浴び、連日、観光客であふれかえっている。
カチカチ山ロープウェイは河口湖の観光施設の
中でも大人気である。
標高1千メートル付近まで数分で一気に登る。
ロープウェイの山頂駅を降りると
みやげ物屋やこの地を題材にした小説にちなんだ
神社や見晴台があり、常時人の波がたえない。
SNSの口コミでも人気なのか
外国人観光客もおおぜい見かける。
***
現在(いま)でこそ、カチカチ山という
かわいい呼び名で呼ばれているが
この山は江戸時代には嘯(うそぶき)山と呼ばれていた、とか。
ロープウェイの山頂駅から歩くこと10分で
この山本来の頂上に着く。
頂上には小さな祠がある。小御嶽神社だそうだ。
同じ名前の神社が実は富士山の5合目にもある。
(カチカチ山山頂・別名 嘯山(うそぶき))
(富士山5合目の小御嶽神社)
なぜ?
寛文八年(1668)五月六日、嘯山(うそぶきやま)山頂に鎮座、勧請。
北麓農民は、農閑期には富士山に入山して木を伐り、
角材・板材に木挽きをし、相模・伊豆・駿河方面に販路を開き、業としていた。
そのため富士山入山中の無病息災を祈り、富士山五合目に小御嶽神社を創建した。
相模という言葉に反応した。現在(いま)ではめっぽう数は減ったが
近隣の自治体には古民家が数軒ある。いずれの建物も皆、富士山から伐りだした
木材が使われているかは不明だが。何をするにも人のちからに頼らざるを得なかった近世。
富士北麓の農民が冬の富士山に入り、命がけで伐採した資材が使われたかもしれないと、
勝手に憶測すると、近隣の古民家へむける眼も、また変わってくる。
嘯山(うそぶき・やま)の山頂と富士山のあいだには、地理的に互いの視界をさえぎるような高地はない。
江戸時代の富士北麓の里の農民(現在の富士吉田市・河口湖周辺とりわけ富士急ハイランドのあたり)が
嘯山(うそぶき・やま)の山頂に登り、祠に手を合わせたあと、真正面に見える富士山を見やっては
同郷から冬の富士山に入山して森林伐採に携わった者の無事を祈る姿を想像すると
胸が詰まる想いだ。
***
個人的には、キロ数がさほど長くない低山歩きは嫌いではない。ここは道も整備され
コースも短めで、とても歩きやすい。
でも、今回は楽しみのためというよりは、昔の人々の息遣いを感じたくて
このゴールデン・ウイークに登ってみた。
***
往復ともロープウェイに乗る人が大半だが
どこで情報を得たのか、下山だけでも徒歩を使う外国人観光客
とりわけ欧米からの人たちを数組みかけた。
緑の木立の中、小鳥がさえずり渡る途中の東屋(あずまや)で
休憩を兼ねてしばし読書をするなど
わたしが理想とする旅のスタイルがそこには、あった。(^^)