自虐ネタ
これをねぇ、フランス語でさささぁ〜と書けたらと毎度毎度思います。
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土曜日の夜、ご縁をえて、地元の公共ホールのボランティア活動の一環で
よしもとのお笑いを会場内整備という名目で最後まで同伴いたしました。
こんかいは8組の芸人さんが出場されておりました。
得てして感じたのは、政治はお笑いのネタにぴったりなのかなぁ?と
ビックリしたことです。
- 北朝鮮の名物女性アナウンアサーのモノマネ、飛翔体をいじり倒す。
- 北方領土〜〜日本固有の領土〜〜といわれながらも、ソ連領を経て
現ロシア領。だんだんスラスラと北方4島を言える人たちも減って
きているようで、口をついて言えないことが、今やお笑いのネタに
なって自虐ネタで笑いをとっておりました。
- 安倍首相の独特の早口でのモノマネ。
- 福井県の原発銀座を揶揄しつつも、さいごは自虐ネタへ。
客層は一見では政治に興味がおおいにありそうな方たちに見えなかったのですが
政治ネタがとびだすたびに客席は沸きに沸いておりました。
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母国語だとここまでの作業、10分程度。これがねぇフランス語だと1週間かかっても
できないのよ。(><) そして、ついつい投稿がおっくうになる。いかんねぇ。
そういえば、昔チャップリンも政治を風刺していましたっけね?
そう考えるとお笑いと政治は近い位置関係なのかもしれませんね。
やりがいと組織
今月2週にわたって、とあるイベントのボランティアを経験した。
そこから学んだことはおおぜいのボランティアが
応分にやりがいを感じられるように実によく
システムが組み上がっていたことだった。
ボランティアを統率するトップを誰にお願いするか
で、組織はうまくまわるか、または、最悪は空中分解もする。
トップは全体の様子をよくみてまわれる人で
機微に富んだかただった。トップがトップらしく
采配をふるえるように、
企画・主催は自分らがおもてにたたなかった。
そして誰がジャッジをしても
主催者はいちばん働いていた。
ボランティアのトップが好き放題しないよう
裏ではしっかり手綱をゆるめなかったように
わたしは感じた。
ボランティアのトップは中間管理として
よく働いていた。ボランティアは各セクションごとの
リーダーがいる。いわば、係長のような存在。
彼らはお金を扱うことと、現場判断をする権限をあたえることで
責任感が生まれる。
わたしのようなヒラが、自分の判断で
なにかトラブルがおきても事態が悪化しないように
責任感はうすく、でも、やりがいはたっぷりと味わえるように
気配りの采配はすばらしかった。
ビジネスに必要なのはフレームだと最近おぼろげながら
理解できるようになった。
ボランティア≠ビジネス、だが、組織が肥大化すれば
企業のようなヒエラルキーは必要になるだろう。
配属されたヒエラルキーに不満がでないような
心遣いは脱帽した。
トップも主催者も自分と年齢は10も変わらないと
おもうが、自分はそういう采配はできない。
学ぶことはまだまだ多い。
写真展とご縁 〜やさしさの輪につつまれて〜
昨日、埼玉県さいたま市の浦和というところにある、
ヘルシーカフェのらに行ってまいりました。
お友達がそこで写真展をやっているからでした。
お友達の写真展の感想については後ほど。
浦和は自宅から100キロを超えるところにあります。
それだけにお誘いをしてくれたものの
行こうか行くまいか悩みました。
関東地方を時計回りに半周するようなイメージです。
ところがですね・・・ある日思い立ったように
出かけてしまいました。
結果は・・・
行ってよかった〜 のひと言です。
自分が神奈川県でも西側から来たせいか、この浦和という
ところは異空間みたいでした。
どこが?って、自分が普段見慣れている山が見渡すかぎり
ない!(@0@)
そして約5〜6分おきくらいに、新幹線(東北・上越・長野・
北陸)が走っているンです。
でも、うれしかったことに、降りたJRの駅で相鉄線を
みたンです!
埼玉で相鉄線ですよ。相鉄線といえば、神奈川県内を走る中堅のやや地味めな (ごめんなさ〜い m(_ _)m )
雰囲気の鉄道ではないですか。それが埼玉でみられたことはうれしかった。(^^;
これからGoogle 地図を片手に目的地に向けて「いざ出陣!」というとき
のタイミングだったから、なおのこと援軍がかけつけて来てくれたようでうれしかったのです。(^^;
会場の近くに行って初めて気がついたのですが
会場のカフェは、わたしに起業のイロハを教えてくれた
先生の作業場のおとなりにあったのです!
・先生とカフェのオーナーさんとは大の仲良し!
・先生自身も起業する時、このカフェのオーナーさんに
ずいぶん厚遇してもらった。そのおかげで起業初期に
おこるいろいろなお悩みをクリアしていった。/etc.
先生が講義で口にされていた内容が芋づる式に記憶に
よみがえってきました。
自分はこのところ、国際交流のイベントにちからを入れ
始めています。このタイミングで、写真展の会場となった
カフェを訪ねたことは、なにか意味があるのだと
思いました。
写真展につられて出かけてみたら、ビジネスのマインドとは
何か?を思い出させてもらったというわけです。
少し軌道に乗りかかると、HOW TO すなわち
どうやって進めていくか?に、かたよりがちになっていましたが
WHY ? なぜ、その事業を進めたいのか?の部分を常に
頭の中に入れておくことの大切さを、起業のイロハでは
口を酸っぱくなんども繰り返してくれたことを、もう一度
思い出させてもらいました。
そこを思い出させてくれただけでも、浦和まで行った甲斐が
あったと感動しながら帰ってまいりました。
写真展は、友達が『自分らしくいられる8~9歳のころの自分を
取り戻そう!』を実践している『あり方スクール』略して
『ありスク』で学び、実践し、そして一緒に学ぶ友を撮影して
いる、いづみん こと いしかわいづみ さんの作品集です。
見知った顔がいくつもあり、みんなの屈託のない笑顔の写真を
みられて最高でした!!!
会場のコミュニティカフェ・ヘルシーカフェのらは喫茶店の枠を
大きく越えて、活躍している人、活躍したいけどいまいち羽ばたけ
ないでいる人、今はまったりとしていたい人、etc.すべての人たち
を優しく包みこんでくれるカフェです。
地産地消にこだわり、埼玉県産のお野菜でおいしいお料理を
提供してくれます!!!わたしも、ポテトサラダを小分けしてもらい
家で食べました。絶品です。(^^)
一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
いろいろな気づきの機会をくれた、いづみん、どうもありがとう!
『長靴をはいた猫』は起業のモデル書・・?!
いやぁ〜ビックリした。ビックリしたもなにもって
自分は今まで『長靴をはいた猫』は児童書だと思い込んでいたのだが
起業のモデルのはなしだったのか?
昨日ご縁を得て影絵&演劇・劇団かかし座『長靴をはいた猫』の
一部を観ての感想。
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あらすじの概略はこちらをクリック→★
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要は『わらしべ長者』と似ていて、亡き父親から猫一匹のみを相続した
三男坊が、父から相続した猫がこれまた非常に機転のきく知恵者で
この猫の立ち回りのおかげで、あれよあれよと言う間に財産も増え、
社会的地位も上がっていくお話。
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上の猫☝️、バレエ習ってた?よね, きっと。ポーズ決まりすぎ (^^;
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自分が解せなかったのは『なぜ猫はあそこまで三男のために
身を粉にして世話を焼いたのか?』ということ。
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ある人のブログには猫自身が生き残るには、主人である
三男坊がしゃんとしてくれないと困るからと分析をしている。
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わたしにはそうは思えなかった。むしろ親切すぎるほど
親切な起業初心者向けのメンターであるかのように見えた。
- 猫は身なりに注意を払っている。
- 偶然をよそおった人脈づくりに長けている。
- 話術にも長けていて、王様、鬼双方をあっという間に猫の言いなりにさせている。
身なり・人脈・話術(社交術)は、
ビジネスで成功する上で必須の項目だ。
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要は若くてそこそこイケメンなだけの、凡人の三男坊のセルフ・ブランディングを
成功させて、領主である王様のお気に入りにさせ、王の娘である姫のハートを
つかんで姫と結婚をして、三男坊の人生すごろく一丁あがり!!にまで
持っていったのだ。
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スゴい猫だぜぇ。たまげたもんだわ。
わたしもそんな猫欲しいっす。
いや、言霊(ことだま)・予祝的な言い方ならば
猫と出会いました。ありがとうございました。だな・・・
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人は変われる。過去は変えられないが
未来は変えられる。
変えたいならば、三男坊を見習いたまえ、諸君。
猫より
真鶴まちなーれ
フランスのブログなので、できるだけフランス語で
書いてやりたいところだが、やはり胸の奥底のことを
書こうと思うと母国語でないと書き記せない。
今日2019年3月20日真鶴町に行った。
なにをしに行ったかというと・・・
真鶴まちなーれ という現代アート+手作り作家さんらの
ワークショップを期間限定(2019年3月9日〜3月24日)で
おこなっていて、連日午前10時と午後2時に
アートと町を巡る特別な鑑賞ツアーというのを
やっているのだ。
『アートと町を巡る』という文言に惹かれて
今日その鑑賞ツアーに参加をしたというわけ。
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世間でよく耳目する学芸員による作品解説ではなくて
『町を巡る』という文言がつくには理由(わけ)がある。
真鶴町には『美の基準』が敷かれている。
美の基準をひと言で言い表すのはむずかしい。
なぜならば、建築基準法にもとる基準ではなくて
非常に抽象的だが町の息吹きの根幹をなしているもの
ツアー参加者に『美の基準』も感じられるような
構成になっている。美の基準は、自分が感じた考えに従えば
町内を構成する要素で、これだけは時代が変わろうと譲れない
という、いわば、魂(たましい)のようなものだ。
それは「こちらが『美の基準』になります」と具体的な物質を
ポンと展示できるものではなく、空気のように目には見えない
けれども、そこには確実に存在するものなのだ。
したがって、町内を歩きまわって、そこに暮らす住民とふれあって
五感で感じとってもらうよりほかに方法がないのだ。
町巡りとアート鑑賞、どちらに主眼が置かれているかというと
誤解と偏見を恐れずにいうと、今日ツアーに参加した限りでは
自分は主が『美の基準』を感じとること、
『作品解説』は従だと感じた。
まちなーれは現代アートが展示されている。現代アートは
自由な解釈が許され、見る人によって解釈はまちまち
作品の好き嫌いも分かれる。だから自分は現代アートは
大好きだ。
神奈川県内の市町村において
『美の基準』を敷いているところは真鶴町ぐらいなものだろう。
それだけに真鶴町にておこなわれるイベントと
『美の基準』は切っても切れない関係で、今後もつきまとって
くるのではと思う。
見る人によって好き嫌いが入り込む余地は感じられるが
そこに独特な町の魅力を照らしだしている。(END)